第1章 長田民商(納税民主化同盟)の誕生

 

長田民商の前身は、194710月(昭和22年)に結成された神戸納税民主化同盟にさかのぼります。

結成当時の事務所は、兵庫区平野の友和会館で1948年(昭和23年)には、元長田民商の事務所であった長田神社参道筋入り口横(現在村野高校横)に移転しています。

当時、長田の街は川崎重工、川崎電機、川崎車両、神戸工業、エアーブレーキ 阪神内燃機、神戸鋳鉄、内外 ゴム、など大企業と関連下請け鉄工業者、マッチ業者、ゴムケミカル業者などがひしめきあい、そこで働く労働者相手の飲食業、自転車店、下駄屋、など生活関連業者が栄えていました。

六間道、大正筋、長田神社などでは映画館が10軒近くあり、日本一といわれる同和地区を抱え、また外国人も多数暮らしており、人工密度も神戸一であり活発、活気ある街でした。

反面結核患者が日本一 、公園面積があまりにも狭いこと、道路が狭いことなど、くらし、税金問題、政治の在り方などの矛盾も激化していました。

こういう中で第一回一斉地方選挙では神戸ではただ一人、長田区選出の日本共産党市会議員(堀川一和)を誕生させるなど、神戸における民主運動の発祥の地としての役割を果たしていました。

このような状況の中で神戸納税民主化同盟、神戸協同診療所(現神戸協同病院)、借地借家人組合、部落解放同盟などがあいついで結成されました。

長田民商の前身である 神戸納税民主化同盟の会員は圧倒的多数が長田区の業者で占められており、税金闘争の主力は長田区にありました。

私達長田民商では長田の街に民主的な業者運動が誕生して、すなわち長田民商が誕生して50年と位置づけています。

しかし兵商連40年史で明らかになったことは、1949年(昭和24年)413日に全神戸民主商工会が結成され、その支部として長田民商の名前がはじめて使われているようです。

1950年(昭和25年)に兵商連が結成されました。
当時 兵商連の会員現勢は4500名でありその内、長田民商の会員は1200名で兵商連結成の牽引車の役割を果たしてきました。