第4章 業者の要求を守って50年

民商創立当時の運動の中心は税金闘争でした。

個人事業税の控除額の引き上げ、税率の引き下げ、青色申告者の専従者給与の新設、基礎控除の引き上げなど大きな成果をあげてきました。

しかし成果が上がれば上がる程、免税業者が増える現象が1954年(昭和29年)頃から現れてきました。

一方税務署は、、免税業者は申告必要なしの態度をとってきたのと同時に、長田民商事務局長(鳥越巌)長田民商会会長(柴国一)が地方選挙に立つなど、折からの民主運動の混乱期と相まって、民商不要論まで飛び出すなど全国的に民商衰退の時期 があり、長田民商にとっても最大の危機を迎え会員現勢は、最高時1000名を越えていたのが100名まで後退した。

長田民商会長、兵商連会長(南 藤治)は当時の活動スタイルを総括し「基本的には、生活費に食い込む課税に反対という方針で一致し、そのため帳簿で闘える人は帳簿で、それが無理な人は帳簿なしで、青色申告で闘える人は青色で、それぞれ自主申告を認めさせる要求で進むべきである」と全商連の総会で発言し、以降会員の記帳要求をはじめ、会員のさまざまな要求を取り上げで運動 を展開するように提起し今日の民商、全商連運動の発展に大いに寄与し た。

 

.記帳要求の運動 

1954年(昭和29年)頃から会員の要求が渦巻く中、民商の中には 「記帳をすると税務署に営業状態をつかまれるだけ、業者を青・白で分断されるだけ」などの記帳要求を軽視する考えが充満していた。

控除失格者会員の退会の続出、退会して青色申告を選ぶ会員が続出していた民商にとって、記帳要求を取り上げる運動は急を要した。

事務局員は1人(小林吉男)になっていた

民商は、長田共栄商工会という名称で記帳会員を組織しスタート、1958年(昭和23年)兵庫県経理指導協会を退職した(幣守薫、 阿部義夫、高向和子)が事務局に加わり活動した。

以降、記帳という実務を中心として(記帳部)を設立し、コンピューター導入、記帳指導、簿記学校、など取り組んでいます。

1989年 (平成元年)消費税が導入され記帳実務の複雑さ、法人なりの業者が増加しておりその対応が迫られています。

 

.経営を守る運動

経営危機突破集会とケミカル部会設立 

1971年(昭和46年)から翌1972年(昭和47年)にかけてのドルショック変動為替相場制への移行による深刻な不況の進行と、構造改善や流通の近代化、合理化により景気はますます厳しくなっていた。

長田区の地場産業であるゴム、ケミカルシューズ業界は2000社を超す大小の企業があり、全国生産の9割を占めていた。

その商品は、対米輸出が80%を占めていただけに「ドルショック」の影響は深刻であった。

西神戸民商ケミカル部会は、1971年(昭和46年)会内外のゴム、ケミカル業者に呼びかけ、40名が参加する懇談会を開催した。

懇談会では、緊急融資制度の創設・社会主義国との貿易・輸出課徴金のしわよせが中小業者や、消費者にかからないようにせよ等で、運動する事が決められた。

9月21日には、代表25名が神戸市経済局長に緊急融資などの6項目の要求を提出、その実現を迫った。

1973年(昭和48年)には「石油危機」による石油製品、材料の買い占め、売り惜しみ、高騰が発生した。

同年9月ケミカルシューズ会館に100名を超す業者が集まり、西神戸民主商工会主催による「地場産業を守る材料危機突破集会」が開催された。

この席上、宮崎辰雄神戸市長は来賓あいさつで、「市の下水道工事、電気工事も塩ビ不足で困っている」と、その実例を述べ、「世論を結集し、業界一丸となって当たるべきだ、私も最大の努力を払ってこの危機を突破したい」と、発言

団結して国や政府に当たろう」と、参加者を激励した。

また、ケミカルシューズ工業会大沢理事長・共産・公明・民社の各政党からも励ましの挨拶があった。

さらに、兵庫県電気工事業協同組合から も激励電報が寄せられるなど、地場産業を守れの運動は大きく広がった。

1974年(昭和49年)6月、「神戸地場産業を守る中小企業連絡会」がケミカルシューズ会館で150名の業者が参加して結成さ れた。

この集会に県商工部、(山内金融部長)・市経済局、(若林輝夫)・中小企業指導センター所長・兵庫県信用保証協会、(横田忠弘業務部長)らが参加した。

長田民商会員のスポンジ加工業者(酒井常勝)が、業者の実情や打開策を訴え、参加者の共感を得た。

なお、この集会を機に長田民商会員の(酒井常勝)、長田民商事務局員(小谷幸男)の両名が公費にて、社会主義国ソ連へ視察に派遣されるなど大いに奮闘した。

 

工業団地建設の運動

1974
年(昭和49年)小規模企業むけの工場団地建設の気運が高まり、 新神戸鉄工事業協同組合(梶原景俊理事長、田中徳太郎専務理事)で設立し活動を開始した。

その後、神戸市とタイアップした兵庫工業団地協同組合(堀田雪夫理事長)に発展させ、公害防止事業団から43000万円の融資を受け、敷地面積1639平方メートル、建物面積1581平方メートルの工業団地が完成し、1989年(平成元年)に操業を開始した。

そして325日、各界の招待者100名以上の参加者で盛大に、落成レセプションを開催した。なお長田民商からは、白井弘二専務理事(現長田民商相談役)を派遣し、建設に重要な役割をになった。

 

金融要求の運動

1965年(昭和40年)5月、山一証券の倒産にともない日本銀行は、無担保、無保証、無利息、無期限の特別融資をおこない同社を再建させました。

全国の業者は、「山一なみに無担保、無保証、無利息の融資を」の運動が巻き上がり、1968年(昭和42年)には限度額50万円を獲得し、以降100万円・200万円と拡充させ、1989 (平成元年)には 融資限度額450万、返済期限5年と拡充させることができました。

1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の被害から立ち直るため、別枠で震災復興特別融資を1500万円まで獲得し、返済期限10年、据え置き期間3年、しかも据え置き期間無利子の制度を作り出しました。以前の無担保、無保証融資も限度額750万に 引き上げさすことが実現しています。

1998年(平成10年)11月には、おりからの平成大不況からの対応策として、家族の保証で限度額1000万円の中小企業「経営安定化特別融資」を、時限があるが創設させることが出来ました。

 

労働事務組合の結成

1966年(昭和41年)鉄工一人親方、鉄工業を中心に西神戸民商労働保険事務組合が認可されました。長田の業者は一人親方が多くしかも、鉄工・ゴムなど製造業中心で、過酷な労働を強いられていた。労働事務組合は、危険な労働災害から業者を守るため、労働条件の改善のため奮闘しています。また、鉄工業者の腰痛を労災認定させる運動などを行っています。

 

,業者の生活、平和を守る運動

老人医療無料化直接請求運動

1967年(昭和42年)東京都知事に美濃部革新知事が誕生、1970年 (昭和45年)には京都でも蜷川民主府政があいついで誕生した。

東京都では、1971年(昭和46年)9月に全国に先がけて65歳以上の老人医療無料化にふみきって以来、全国で老人医療無料化の運動がもりあがった。

神戸でも「 神戸市老人医療無料化直接請求実行委員会」が結成され、1ヶ月間にわたる「 直接請求署名」が行われ長田民商も大いに奮闘した、神戸市全体で20万筆の署名を集約神戸市に提出した。

以来、かずかずの紆余屈折があったが1973年( 昭和48年)、大都市では東京都についで「65歳以上の医療無料化」が実現した。

 

平和を守る運動

 世界で唯一の被爆国日本において、1955年(昭和30年)3月原水爆 禁止3000万署名を達成し、同年86日第一回原水爆止世界大会が実施さ れた、以来平和でこそ商売繁盛の合い言葉で長田民商は、西神戸原水協の中核メ ンバーとして活動を展開しています。

1983年(昭和五8年)核艦船の寄港を阻止する「非核神戸方式」を制定させる運動、1986年(昭和61年)長田区における「核兵器廃絶広島長崎アピール署名」の人口過半数突破の運動、1988年(昭和63年)国連軍縮特別総会に長田民商事務局次長  岡龍男を派遣、また長田民商に平和運動担当三役(西堀超也)を 配置し毎年行われる原水爆禁止世界大会に代表派遣、被爆者救済の69行動、3.1ビキニデー参加、餅つき大会、平和行進参加、毎年1月1日の六甲山頂における元旦行動など奮闘しています。

 

政治改革の運動

1959年(昭和34年)、警職法改悪、安保条約改悪に反対運動が全国的に高揚した。長田民商は、安保改定阻止国民会議の一員として、自転車デモ、閉店スト(45軒)などで奮闘した。また長田民商は各種選挙においても奮闘した。

党派選挙では「業者後援会」、各種首長選挙では革新(県市)政の会に結集し奮闘した。

全会上げての選挙運動となった1971年(昭和46年)の全国一斉地方選挙では久留島義忠(長田民商副会長)を県会に、白川豊(長田民商事務局長)を市会に送り出したことをはじめ、1973(昭和48)宮崎辰雄革新神戸の誕生に際 し、宮崎辰雄は長田民商の事務所に来所、共に奮闘する決意を表明して会員を激励した。

以来20年以上にわたる革新市政継続に奮闘した。

また党派選挙では1969年(昭和44年)の浦井洋衆議院議員の誕生(連続八期)、1974年(昭和47年)安武洋子参議員の当選(連続2期)1998年(平成10年)には大沢たつみ参議院議員誕生に奮闘した。

また 1997年(平成9年)神戸市長選挙では全会あげ(大西和男)革新候補をたて、(笹山陰俊)現保守市長をはげしく追いつめました